Temptation コンコン、と軽快なリズムでドアをノックする音が執務室に響いた。 「吸血鬼さん、少しお話があるのですがよろしいですか?」 「アルティナか? あぁ、問題ない。入れ」 棚に本や書類をしまっていたヴァルバトーゼはいったん手を止め、アルティナを招き入れた。そして承諾されたということで、 「失礼しますわ」 礼儀正しくアルティナは執務室に入った。 これだけならば、なんら問題もなく普通の会話と行動である。だがしかし、問題は別にあった。その問題とは――― 「・・・むっ・・・珍しいな・・・お前が髪を解いているとは・・・」 普段は髪を三つ編みしているアルティナだが、今現在は三つ編みをしていなかった。 「そういえば天使に転生してから吸血鬼さんには髪を結んだところしか見せてませんでしたものね」 アルティナは、ヴァルバトーゼの素朴な疑問に合点がいき答える。 「・・・そうだな。うむ・・・ずいぶんと久しく感じる」 「フフ・・・。四百年ぶりですものね。わたくしもこの髪型で吸血鬼さんとお話するのが懐かしく感じますわ」 互いに過去を思い返し、微笑するヴァルバトーゼとアルティナ。それは遠い月日でありながらつい昨日のように思い出せる出来事。それほどまでに強く忘れられない―――思い出であり約束。 と、ここでヴァルバトーゼはあることに気がついた。 「・・・? 俺の気のせいか? アルティナ、お前の髪が濡れている気がするのだが・・・」 アルティナの髪が、いつもよりしっとりとしていてなおかつ所々に水滴がついているのだ。 「あっ・・・それは・・・その・・・お風呂上りだったもので・・・気に・・・なります?」 「いや・・・別にそういうわけではないのだが・・・」 いつもはフワフワとしたアルティナの髪が今は微かな水滴を帯びているためストレートに近い感じになっている。そのせいなのか、いつもとどことなく雰囲気が違うアルティナを見て妙に緊張するヴァルバトーゼ。そしてその緊張していることを隠すため彼は話題を変えた。 「・・・ところで俺に話とはなんだ?」 それは何故アルティナが自分のもとに訪れたのかという話題。理由はすでに決まっているため本来ならばスラスラと訳を話せるはずである。だが当のアルティナは、 「・・・そ、それは・・・ですね・・・」 言いにくそうに言葉を濁し一瞬ためらったが、意を決してヴァルバトーゼに聞いた―――。 「本当に・・・わたくしの血を吸わなくてよろしいんですの?」 「・・・そのことか」 ―――思い出す、数日前のこと―――。 “恐怖の大王”の力によって恐怖を感じたアルティナは自らヴァルバトーゼに自分の首筋・・・すなわち血を差し出そうとした。が、ヴァルバトーゼはあろう事かそれを拒否したのだ。その時、もちろん理由を聞いたのだがうまい具合にはぐらかされて答えてはくれなかった。そして今現在にいたるのである。そのためアルティナは改めて聞きにきたのだが――― 「・・・あの時も言ったが俺はお前の血はまだ吸わん」 答えは前と、一緒だった。 「・・・何故・・・ですの?」 対するアルティナも前と同じ質問をする。少し違うと言えば、ヴァルバトーゼの答えがわかっていたのか慌てている様子がない―――という点だろうか。そしてヴァルバトーゼはアルティナの問いに答えた。 「・・・・・・お前が気にするようなことでない・・・・・・が、そうだな・・・あえて言うのならば・・・」 回答は先ほどと同じく前と一緒だったが、今回は一瞬考え、 「・・・俺は第三者によってもたらされた恐怖などでは血は吸わん。正々堂々と俺自身がお前に恐怖を与え、血を吸うまでだ」 ニヤリ―――と小さく笑った。その瞳に迷いはなかった。一度決めたことは断固として実行しようとするヴァルバトーゼである。それを知っているアルティナは、ヴァルバトーゼの迷いのない瞳をみて不思議とスッキリとした気持ちになり諦めがついたのか、 「・・・わかりましたわ吸血鬼さん。わたくしの血を何故まだ吸わないのか――その“本当”の理由をいつの日か仰ってくださると信じています。ですが――」 微笑み、軽い足取りでヴァルバトーゼに近づき始める。そして背中の後ろで手を組み姿勢を低くして――― 「わたくしはいつでも自分の血を吸血鬼さんに差し上げる覚悟はできていますわ」 ヴァルバトーゼをジッと上目遣いで見つめて言った。 ―――その距離、数十センチ。 おまけに――― (なっ・・・! 近い・・・うえになんだこの匂いは・・・石鹸・・・か? そういえば風呂上りだと言っていたが・・・この匂いはそのせいか・・・? いや・・・だがこれは・・・) そう――― とても――――――イイ匂いがするのだ。 吸血鬼であるヴァルバトーゼは他の悪魔より鼻がいい。 だがそれは犬や猫といった動物達のような鼻がいいという意味ではなく、あいつの血は美味そうだ、こいつの血は不味そうだ―――といった具合に血やその人個人が持っている匂いに関してだけ鼻がいいのである。 どちらかというと匂いに敏感・・・と例えた方がいいかもしれない。現に、石鹸なのかシャンプー、または両方なのか・・・その香りと、アルティナが元々もっている女としてのイイ匂いと吸血鬼が惹かれるイイ匂いがヴァルバトーゼの鼻孔をくすぐる。 それはとても甘美で・・・惑わせ誘惑する匂い。そのため、ヴァルバトーゼの理性を揺さぶるには十分すぎた。 ―――血を吸いたい。 その衝動にかられるのに時間はいらなかった。 (っ・・・! 俺はアルティナの血はまだ吸わん・・・と言ったばかりではないか――・・・・・・いかん・・・このままでは――) 頭の中で警報音が鳴り響く。アルティナから離れなければならない―――わかっているつもりだが・・・金縛りにあったかのようにその場から離れなれない上にアルティナから視線を逸らすことができないヴァルバトーゼ。 「・・・吸血鬼さん? どうかしましたか・・・?」 まさかヴァルバトーゼが自分の本能と戦っているとはいざ知らず、アルティナは顔を近づけ見つめたまま首を傾げて質問する。その表情は何一つ疑うことを知らない純粋さに溢れていた。 (くっ・・・こいつは何故これほどまでに人を疑わず、無防備なのだ・・・!) だがアルティナの他人を心配する無意識な行動は今のヴァルバトーゼにとっては誘惑であり、さらに先ほどからアルティナのイイ匂いに当てられヴァルバトーゼの理性は刻一刻と限界に近づいていく。 (・・・っ・・・) 気がつけば自分の中で嫌な汗が流れる。理性が崩壊するのも時間の問題か―――と思ったその時、 「あの・・・大丈夫ですの・・・?」 自分を心の底から心配し、信じきっている純粋無垢なアルティナの瞳を見てヴァルバトーゼは崩れかけていた理性を一瞬取り戻し、 「・・・・・・なんでもない。気にするな」 ギリギリのところで自分の欲望を押さえ込み、やっとのことでアルティナから視線を外すことができた。が、その物言いは素っ気無くなってしまう。 ――これでうまく隠せた――・・・。 と思いきや、看護師として働いていたためなのかアルティナは一瞬の隙も見逃さなかった。 「ですが・・・何か吸血鬼さんの顔が赤いような気が――」 「・・・! 気のせいだ・・・!」 紅潮していることを指摘され、即座にマントを翻しアルティナに背を向けヴァルバトーゼは自分の顔を隠す。 「その・・・本当に大丈夫ですの? もしタチの悪いウイルスか何かだったら――」 しかしその行為はアルティナの心配を煽り、逆効果となる。案の定、自分に背を向けたヴァルバトーゼに再び近づき顔を覗き込もうとする。が、 「大丈夫だと言っている!」 「――!」 その気配を感じたヴァルバトーゼは少し強めに言ってしまう。そしてそれを聞いたアルティナは一瞬ビクリと反応しヴァルバトーゼに近づくのを止め、 「・・・そう・・・ですか・・・」 自分の発言がヴァルバトーゼに不快な思いをさせたのかと感じ、うつむき不安な気持ちになる。 「・・・・・・・・・」 対するヴァルバトーゼは自分の態度が原因でアルティナを悲しげな表情にしたことを自覚しているが、その理由を話すわけにはいかずただ沈黙するばかりである。その結果、二人の間にはなんともいえない微妙な空気と沈黙がしばらくの間流れた。 ―――やがて、この沈黙に終止符を打つためにアルティナは、ゆっくりとヴァルバトーゼに話しかけた。 「・・・・・・吸血鬼さんにお聞きしたいことも聞きましたし、わたくしはこの辺で失礼しますわね・・・」 くるり―――と、ヴァルバトーゼの言葉を聞かぬうちにドアの方に向き、歩き出そうとしたアルティナだったが、最後の最後に―――勇気を振り絞り不安げにヴァルバトーゼに聞いた。 「・・・今度・・・またここで・・・・二人っきりで・・・お話をしたいのですが・・・よろしいですか?」 「・・・! それは――」 彼女のまさかな提案に今度は自分の衝動を抑えきれる自身がいまいち無いヴァルバトーゼは、それは駄目だ――と言いかけたが、 「・・・・・・いや・・・好きにしろ。俺はいつでも構わん」 「――ありがとうございます」 アルティナの不安な気持ちを察したのか・・・それともアルティナの喜ぶ顔が見たかったからなのか―――それはおそらくヴァルバトーゼ本人も自覚していない無意識な感情なのだろうが、案の定アルティナの表情は明るくなり、笑顔になった。そして自分が望んだ答えを聞けたことに安心したのか、 「・・・おやすみなさい――吸血鬼さん」 ヴァルバトーゼに微笑み優しく挨拶をし、執務室をあとにしたのだった―――。 アルティナが去ったあと、ヴァルバトーゼは先ほどの自分の理性と本能がせめぎあう状態を思い出し、 「・・・今後のために何か対策をとっておかねばならんな・・・」 一人小さく呟く。そして、雑念をはらうがごとく椅子に座り書類に目を通したり書き込めたり・・・と、一段と仕事に励むのであった―――。 −あとがき− 相変わらず執筆速度が遅いな自分!(失笑) ということでヴァルアル小説第二段です。 今度こそ自信を持ってヴァルアル小説って言える・・・かな・・・? 自信・・・うん・・・自信を持って・・・(ry ED後は果たして血を吸ったのかどうか気になるところですよね。アルティナED以外のためにその辺はご想像に・・・ってこと・・・か?(゜ω゜)? この小説ではアルティナEDで血を吸わなかったバージョンとして書いてみたのですが・・・ そうなると吸わなかった理由がね・・・なんなんだって話になってきたわけでして・・・ 自分で考え断言してしまうのもなんだか気が引けたので、“あえて”を・・・ 個人的には血を吸わなかった理由はアルティナとの関係を終わらせたくなかったとかなんかその辺であることを祈りつつ・・・ そしてそれを誤魔化してたりしてるとなお良い・・・(´Д`*)(← あと嗅覚と匂いに関してはとりあえずイワシと人間の血は嗅ぎ分けることはできて・・・ましたしね・・・!(笑)吸血鬼はきっと鼻がいい・・・ハズ( 匂いの方は、風呂上りだろうがそうじゃなかろうが良い匂いの人っていますよねーな話・・・です。それと髪が濡れてる女性はいつもと違ってドキッとくる・・・(← もっとこういう煩悩系を書いていきたいなー・・・とか思いつつ・・・なかなかネタが降り注いでこない所存でありまする(゜〜゜) 2011/05/13 |